スタッフブログ特別編(#4 幻の美濃田橋 3/4)奇岩の元は、「付加体」?

2021年11月08日

スタッフブログ特別編 ブラリ橋(#4 幻の美濃田橋 3/4)

今日は、前回に引き続き、東みよし町にある「吉野川ハイウェイオアシス」に来ています。今回は、「美濃田の淵の奇岩」がテーマです。「川の中の橋脚の『基岩』は『奇岩』です」と、土木用語を使えばシャレのような言い方もできますが、今日はその奇岩の正体に迫っていきましょう。

それでは、「美濃田の淵の奇岩」を見ながら、今日も「幻の美濃田橋」でブラリ橋。

今日はまず、美濃田の淵がどんなところにあるかを空から見てみましょうか。グーグルアースを使えば、鳥になった気分になれますが、今回は本当に鳥になりました。実写です。

え!

東みよし町加茂上空から西の方角を撮影しました。吉野川が左奥から手前右(東)へ向かって流れています。

右の山は讃岐山脈(※1)、左が四国山地です。南側(左側)を流れていた吉野川が、「美濃田の淵」を過ぎたあたりから大きく北へ蛇行します。この大きな蛇行がつくる吉野川南岸の広い平野(三加茂平野)は、池田町から岩津の間は吉野川がほぼ南を流れているため、大変珍しい光景です。よく知られる中央構造線は、讃岐山脈の裾を通っています。
「美濃田の淵」はどこにあるかわかりますか。

白く見えているところがハイウェイオアシスだから、あのあたりですね。

今度は、国土地理院の航空写真を使って北側から吉野川を見てみましょう。この方向だと、旧三好町の扇状地の形成に、黒川原谷川と馬木谷川が関係しているのがよくわかります。ここで地質の話をすると、讃岐山脈は和泉層群(いずみそうぐん)、四国山地は三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)という地質になっていて、その境が中央構造線になります。

実のところ、三波川変成帯と和泉層群については、多くの関連書籍や専門家による解説サイトがあるので、私たちのブログが出る幕ではないのですが、前編でも言ったように「幻の美濃田橋」の橋脚が吉野川の洪水に耐えているのは、「美濃田の淵の奇岩」のお蔭なので、今回は長めのブログになりますが、この奇岩を専門的な観点から眺めてみましょう。

せっかくの地質に関する話題なので、少し欲張って
「四国(日本列島)の成り立ちから、美濃田の淵の奇岩誕生」までの壮大な大地の物語に挑戦したいと思います。

それでは、「美濃田の淵の奇岩」に関連する9つの疑問に答える形で、奇岩の正体に迫ってみたいと思います。

①『ご存知のとおり、ジュラシック・パークという映画の題名はジュラ紀(Jurassic period)からきています。でも、映画の中で大活躍のティラノサウルスは白亜紀の恐竜では?』
恐竜について説明したいわけではありません。地質年代がイメージできれば、地質に対する親近感(?)が倍増します。

②『南海トラフ巨大地震の原因はプレートが沈み込むからというのは、今や常識でしょう。でも、大地が動くというこの理論は、何と呼ばれているでしょう?』
「プレートテクトニクス」という言葉を知ってる方も多いのでは。この理論は、先人を悩ませていた大陸移動の問題をスッキリ解決させてみせました。

③『四国だけでなく日本列島は、「付加体(ふかたい)」でできている。「付加体」って何?』
このブログを訪ねていただいた方の中には、「付加体」という言葉は初耳という方も多いはずです。地質を題材にしたテレビ番組でも省略されることが多いのですが、「付加体」こそが「美濃田の淵の奇岩」の出発点なのです。

④『四国全体の地質図をみると、縞模様のようになっている。どうして?』
美濃田の淵は三波川変成帯に位置しますが、讃岐山脈など四国全体の地質はどうなっているのでしょう。「四国の地質」の概略をみてみましょう。

※⑤から⑨までは、「#4 幻の美濃田橋4/4」の内容です。

⑤『中央構造線は大断層なんです。どうして「中央大断層」って言わないの?中央構造線は何歳?』

中央構造線は、長さが約1000kmにも及ぶ大一級の断層です。中央構造線の年齢はいくつなのでしょう?

⑥『美濃田の淵の結晶片岩(※2)を産んだ三波川変成帯。地下深くでできた岩石なのに、どうして地表で見られるの?』
地下数十kmもの深い場所で変成作用を受けた三波川変成岩。どうして、そんな深いところにあった石が地表にあるのでしょう。言われてみれば不思議です。

⑦『日本列島はアジア大陸の縁からやってきた。どうやって?』
アジア大陸の縁にあった日本列島は、驚くことに回転しながら東に移動します。1450万年前ごろになると、現在の位置に弓形をした日本列島が誕生しました。

⑧『四国山地・讃岐山脈、今私たちが目にする高い山々は大地が隆起したから。いつ頃できたの?』
地質時代のうち、最も新しい時代は「新生代第四紀」です。この時代は、「氷河時代」とも呼ばれ、日本の山々が隆起する時代です。

『やがて、吉野川は南側に追いやられ、美濃田の淵の奇岩誕生に繋がります。しかし、結晶片岩の露頭がつくる奇岩は、なぜこの付近にだけあるのでしょう?』
ある時期から、吉野川は池田町から紀伊水道へと東に流れ始めます。やがて、その流れは南側に固定され三波川変成帯の結晶片岩を侵食します。そして「美濃田の淵の奇岩」の誕生です。

①『ご存知のとおり、ジュラシック・パークという映画の題名はジュラ紀(Jurassic period)からきています。でも、映画の中で大活躍のティラノサウルスは白亜紀の恐竜では?』

地質年代は地質に馴染みがない方にとっては、少し取っつきにくく感じると思いますが、これを大まかに理解すれば、地質への好奇心が倍増すること間違いなしです。そこで、美濃田の淵に関係する時代を中心に、地質年代をみてみましょう。
地球は46億年前に誕生し、悠久の時間のなかで大陸の移動や衝突が繰り返されてきました。今回は、この地球の歴史を辿るのではなく、5億年前からの話をしたいと思います。

下図を見てください。まずは、地質時代を大きく二つに分けます。今から約5億4000万年前までを「顕生代(けんせいだい)」といい、それより昔を先カンブリア時代といいます。少し乱暴な言い方ですが、地質の話は化石などの証拠が多い「顕生代(※3)」からが中心になります。

「顕生代」は、「古生代・中生代・新生代」の3つに分かれます。まずは5億年を3分割です。

中生代の中で、「ジュラ紀」と「白亜紀」は、四国の地質にとって切っても切れない関係がある大事な時代です。地質の話を聞いていると「これは1億年前か2億年前のことです」というのをよく耳にします。こんな時は、「ああ、ジュラ紀・白亜紀のことだ」と思えばいいのです。

ところで、恐竜は中生代三畳紀に現れ中生代を通じて繁栄しましたが、6600万年前に絶滅します。これを境に、地質年代は「新生代」に変わります。「6600万年より前か後か」ということを意識すると、地質に関わる大きな出来事も随分イメージしやすくなります。なお、ティラノサウルスは白亜紀末期に生息したので、恐竜時代終焉の象徴とされています。

それでは、次に「新生代」をみてみます。「新生代」も6600万年を3分割です。そのうち「新第三紀」は2300万年前から、そして現在に繋がる「第四紀」は260万年前からと覚えましょう。

新生代は、現在の日本列島が誕生する時代です。ご存知の方が多いでしょうが、日本列島はアジア大陸の縁から引きちぎられて、現在の位置まで移動してきました。新第三紀のこととされています。つまり、日本が今の場所に位置したときは、既に恐竜は絶滅していたということですから、勝浦町(徳島県)で発見される恐竜の化石も、はるばる大陸からやってきたということになります。

新生代の新第三紀の終わり頃から第四紀になると、いよいよ今に繋がる吉野川の風景の元がつくられる時代です。

ついでながら、「第一紀、第二紀はどこにいった?」と思った方も多いでしょう。その答えは後述(※4)しておきます。

②『南海トラフ巨大地震の原因はプレートが沈み込むからというのは、今や常識でしょう。でも、このプレートが動くという理論を何というのでしょう?』

「プレートテクトニクス」という用語自身は知らなくても、南海トラフ巨大地震の説明にでてくるプレートの沈み込みなら知っているという方も多いのではないでしょうか。この現象を説明する理論が「プレートテクトニクス」です。

この理論は、地球の表面が10枚以上のプレートで覆われており、そのうちの海洋プレート(※5)が、水平方向に移動し、海溝・トラフに沈み込んでいくというものです。

「プレートテクトニクス理論」により、大陸移動や山脈の形成など、地球上に起こる不思議な現象は見事に説明されました。

海洋プレートはなぜ水平に移動し、沈み込むのでしょう。 実は、まだプレート運動の原動力はわかっていません。この力を説明する複数の説の中に、「テーブルクロス説」という有力な説があります。テーブルクロスを机に敷いたとき、何かのはずみでずれ始め、あとは一気にずれ落ちてしまったという経験はありませんか。あの状態がプレート運動にも当てはまるというものです。あまりにも例えの規模が違いすぎるので、なかなか想像しにくいでしょうか。

③『四国だけでなく日本列島は、「付加体(ふかたい)」でできている。「付加体」って何?』

「付加体」は、地質にそれほど興味がないという方には馴染みのない用語かもしれません。しかし、「付加体」がなければ、四国だけでなく日本列島は誕生しなかったともいえるのです。

海洋プレートは長い時間をかけて冷やされるので密度が大きくなり、大陸プレートより重くなります。これが、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいる理由です。海洋プレートであるフィリピン海プレートが南海トラフに沈み込むのもこのためです。

海洋プレートは厚いところで100kmにもなりますが、移動する間にプランクトンの死骸などが堆積します。これらの堆積物は100年で数mmも積もるそうですから、何百mあるいはそれ以上の厚さになります。

南海トラフや海溝では、このような遠洋性の堆積物だけでなく、陸側から供給された堆積物も積もります。

海溝まで到達した海洋プレートが沈み込みを始めるとどうなるでしょう。沈み込みは、そう簡単ではありません。まるでブルドーザーが雪を押しているときのような状態になります。下の絵の場合はブルドーザーが動いていますが、ブルドーザーのブレードが止まっていて雪の方が動き、ブレードに雪が押し付けられていくところを想像してみてください。

海洋プレートが大陸プレートの下にもぐり込む際、これと同じようなことが起こります。上層にある堆積物などが引き剥がされ、大陸プレートに押し付けられていきます。これを、「付け加える」と書いて「付加体(※6)」というのです。後から後から、押し付けられるので、現実の地層でいえば海側の方が新しい地層になります。

実際の「付加体」は、上図のような簡単なイメージではなく「剥ぎ取り」と「底付け」というメカニズムがあり、構造はもっと複雑です(※7)。
この付加体により、四国だけでなく日本列島全体の土台がつくられました。付加体による四国の形成は、地質時代でいえば、古生代の終わりからジュラ紀、白亜紀にかけてのことです。

このとき四国の元はアジア大陸の縁にあり、成長を続けながら現在の日本列島の位置へ出発する時を待っていました。それは、白亜紀からずっと後の2000万年前ごろになります。

④『四国全体の地質図をみると、縞模様のようになっている。どうして?』

四国の地質をみると、異なる地質帯がまさしく絵に書いたように線状に分布しています。これは偶然ではありません。上述したように四国がプレートの境界部に位置し、付加体によって四国の土台がつくられたからです。

下図は、四国の地質断面図(模式図)ですが、各々の地質帯が地表に現れている幅の広さで、地下深くまで分布しているわけではありません。

和泉層群だけは、白亜紀に中央構造線が動いたことによってできた大きい窪地に砂や泥が堆積してできたものです(※8)。また、高松平野、丸亀平野などが広がる海沿いは、沖積層と呼ばれる最も新しい地質年代の未固結堆積物で覆われています。

領家帯について、少し触れておきます。香川県の石といえば、多くの方が「庵治石(あじいし)」と答えるかもしれません。庵治石は香川県の庵治・牟礼地方に産出する花崗岩で、世界的彫刻家イサム・ノグチが愛好したことでも知られています。また、敷土、庭土などに使われる「まさ土」は、花崗岩が風化したものです。このように、花崗岩は香川県において馴染みのある岩石ですが、その認知度が裏付けるように香川県で最も広く分布する岩石です。

花崗岩は、地下でゆっくり冷え固まった火成岩(深成岩)の仲間で、付加体ではありません。一方、領家変成岩は、美濃・丹波帯を原岩とするジュラ紀付加体が白亜紀に変成したもので高温低圧型変成岩です。領家帯には、白亜紀の花崗岩が大量に貫入しています。このため、領家変成岩類と領家花崗岩類で構成される地質帯を領家帯と呼んでいます。

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※1 讃岐山脈は阿讃山脈とも呼ばれますが、本ブログでは国土地理院地図に記載された呼び名を使いました。

※2 結晶片岩は片岩ともいいます。平らに割れやすくなる片理面という面があり、この片理が見られる岩石を「片岩」と呼んでいます。

※3 「顕生代」の「顕」という字は「隠れたものを明らかにする」という意味があり、顕微鏡や顕著などの言葉に使われます。その言葉が示すように、「顕生代」は、肉眼で確認できるほどの大きさの化石がこの時代の地質に豊富に産出することに由来しています。

※4 化石を含まない岩石を「第一紀の岩石」とし,現在では見られないような生物を化石として含んでいる岩石を「第二紀の岩石」としていました。しかし、その後の研究により、別の分類群にまとめられ、第一紀、第二紀という言葉は使われなくなりました。(日本第四紀学会HPから抜粋しました。)

※5 海洋プレートは、地球表面を覆う地殻のことを指しているのではありません。地球は、地殻・マントル・核でできていますが、地殻とその下にあるマントルの硬い部分を含めて海洋プレートといいます。


※6 付加する現象は、1970年代には「accretionary prism」などの用語で提唱されており、日本では地質学者の勘米良亀齢(かんめら かめとし)氏が、この用語を「付加体」と訳しました。

※7 「付加する」メカニズムには大きく二つあります。ひとつが「剥ぎ取り」、もうひとつは「底付け」というものです。「剥ぎ取り」は、比較的浅い部分で付加体の先端部に剥ぎ取られた堆積物などが付加していき成長していきます。「底付け」は、プレートがかなり深いところまで沈み込んでから底部に付加していきます。現在地上に露出している付加体のほとんどは、この「底付け」を経て地上に露出して来たものと考えられるそうです。

※8 和泉層群は、中央構造線誕生初期(鹿塩時階~和泉時階)の左横ずれ断層に伴う横ずれ堆積盆と考えられています。

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