スタッフブログ特別編(#7 阿波中央橋1/4) イサム・ノグチと小児像

2025年06月30日

スタッフブログ特別編 ブラリ橋 (#7 阿波中央橋 1/4)

吉野川の河口から約25kmの地点に、吉野川市と阿波市を結ぶ橋があります。それが、まるで櫛を一直線に並べたような姿をした「阿波中央橋」です。13個の櫛が連なるような構造で、全長821メートル。この橋は「13連くし形ワーレントラス橋」という形式で造られました。ワーレントラス(注¹)は、当時の橋において最も一般的な構造形式の一つです。


この橋が架けられたのは、戦後間もなくのころ。当時、吉野川にかかる大きな橋といえば、下流の徳島市にある「吉野川橋」と、上流の三好市(池田町)にある「三好橋」の2つだけでした。ちょうどその中間地点にあたるこの場所に架けられた橋には、その象徴として「中央(※1)」の名が与えられ、「阿波中央橋」と呼ばれるようになったのです。

(※1: 中央橋という名前は、現在の橋ができる以前の、木造潜水橋「記念吉野川中央橋」にも使われています。)

橋の建設工事は昭和25年(1950年)に始まり、3年後の昭和28年(1953年)5月20日に盛大な開通式が挙行されました。
着工当時の昭和25年は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策がなお続いていた時期であり、橋の建設や形式の決定にさえGHQの許可が必要でした。さらに、戦後の厳しい経済状況のなか、事業予算の確保も困難を極めていました。

このような背景のもと、工事関係者たちは数々の困難を乗り越え、まるでNHKの「プロジェクトX 〜挑戦者たち〜」で取り上げられそうな努力と工夫の末に、ようやく橋の建設が実現したのです——しかし、今回のブログのテーマはそこではありません。

この橋には、両端にちょっとユニークな「親柱(おやばしら)」があります。親柱とは、橋梁名や河川名、竣工日などが記された、欄干(高欄)の両端に設置される柱状の構造物のこと。今回は、その親柱に焦点を当てることにしました。

橋の手前には、「河川名 吉野川」「橋梁名 阿波中央橋」と書かれた、高さ約1.5メートルの黒い直方体の構造物が設置されています。柱のように見えませんが、これが親柱です。ごく普通の親柱で、特に目立つ点はありませんが、そのすぐ隣に、やや趣を異にする柱状の構造物が、もう一対、道路の両側に設置されています。

このもう一対の親柱は、楕円形の細長い柱の上に小児像が腰掛けるデザインで、向かって左側に男の子、右側に女の子の像が、それぞれ分かれて座っています。

この小児像に使われている銀色の石材は、表面にまだら模様があり、高級感を醸し出しています。御影石(※2)という高級石材のようです。

(※2: 地学の教科書では花崗岩と呼ばれることが決まっている御影石(みかげいし)。歴史的に見ると六甲山の花崗岩のことであり、神戸市東灘区の御影に由来するー「共生のひろば16号、2021年 先山徹氏の「なぜ花崗岩のことを御影石というのか」から」)

このユニークな親柱について、いつの頃からか次のような話が語られるようになりました。

「イサム・ノグチ作」と断定的に紹介している書籍やウェブサイトも見受けられますが、多くは伝聞調で記されています。「にわかには信じがたい」と感じる方もいるかもしれませんし、「作風が違うように思う」という意見もあるでしょう。

そこで、今回の「スタッフブログ特別編」では、この疑問に真正面から向き合ってみることにしました。

イサム・ノグチって誰?という方もいらっしゃるかもしれませんので、念のため、まずは“イサム・ノグチとは”という説明から始めましょう。

イサム・ノグチについては、彼の母親の名を冠した映画『レオニー』(2010年公開)をご覧になったことがある方もいらっしゃるでしょう。そういった方には説明は不要かもしれませんが、ここで改めて、簡単にご紹介しておきますね。

【イサム・ノグチは、詩人・野口米次郎を父に、アメリカ人の作家・レオニー・ギルモアを母にもつ、日系アメリカ人の彫刻家です。日本名は“野口勇”ですが、日本国籍はなく、1904年(明治37年)にロサンゼルスで生まれ、1988年(昭和63年)にニューヨークの病院で亡くなりました。20世紀のアメリカ美術界を代表する芸術家として、その名を刻んでいます。

イサム・ノグチの作品は抽象彫刻で広く知られていますが、生活のために肖像彫刻を手がけた時期もあり、人物の頭部像も多数制作しています。また、彫刻家としての活動にとどまらず、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家など、多方面にわたりその才能を発揮しました。】

それでは、今回の“親柱の作者はイサム・ノグチなのか?”という疑問に答えるべく、この親柱を3つの視点から検証してみたいと思います。
■1つ目は、阿波中央橋が建設された当時のイサム・ノグチの動静。
■2つ目は、当時のマスコミが阿波中央橋やイサム・ノグチをどのように報じていたか。
■そして3つ目は、阿波中央橋の工事記録などの公的文書にはどう記されているのか、という点です。
それではまず、阿波中央橋の工事期間を改めて確認しておきましょう。終戦間近のことだということが図にすればよく分かります。

スタッフブログ特別編(#7 阿波中央橋 2/4)え!イサム・ノグチの作品?

注1)「ワーレントラス」については、当ブログ「#1那賀川橋りょう(牟岐線)2/2)トラス橋って何?」をご覧ください。
https://www.fccon.co.jp/staff-blog/103/ 

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